浦和聖書バプテスト教会

《 はじめての宣教 》

2017-02-19

イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「…イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。 (マタイ10:5-6)

 

この時はじめて、弟子たちは宣教の働きに遣わされました。◇先ずこの命令が永続的、普遍的なものでないことを確認しておきましょう。(使徒1:8)。復活した主は、宣教の働きがエルサレムから始まって〈地の果てにまで〉及んでいくことを示しておられます。ここで禁じられたことは、すぐに解かれていくのです。もち論、この御ことはが、普遍的なものであったなら、私たち日本人クリスチャンがいるはずがないのです。ですからこの禁止命令は、この時だけの一時的なものなのです。しかしこれは実に合理的です。はじめての宣教が〈異邦人〉からなされるとは考えられないことです。◇では〈イスラエルの家の失われた羊〉とはどんな人々を指しているのでしょうか。イスラエルの家とは、神の選びの民イスラエルを指していることは誰にも分かります。アブラハムから始まってイスラエルに到るまでの歴史をざっと辿ってみても、神の選びがなければ、誰ひとり信仰を受け継いでいくことはできなかったでしょう。堕ちていった人々を見ると、神の選びとは神の守りであり、支えであったことがよく分かります。◇ですから〈失われた羊〉とは、神の選びの中にありながら信仰を持たず、神の恵みを失っている人々を指していると考えてよいでしょう。それが誰であるか私たちには特定できませんが、私たちの周りにも必ずそういう人がおられることを知っておかねばなりません。私たちは先ずそういう人に遣わされているのです。そういう人々のために責任を負わされているのです。〈人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。〉(ルカ19:10)
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