浦和聖書バプテスト教会

《 ヨセフの苦悩 》

2016-12-18

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」(マタイ1:21)

 

クリスマスの出来事は、決して易々と担われたのではありません。マリヤは戸惑い(ルカ1:29)、ヨセフは苦しみ悩んでいます。受け入れ難いことだったからです。◇先ず19節。ヨセフがこのような結論に至った過程を想像してみなければなりません。マリヤが伝えたことを、彼はどうしても信じられなかったのです。当然です。事実を事実として認めることは、彼自身には身に覚えがないのですから、マリヤが他の男性と通じたと考えざるを得ないのです。しかし彼には、マリヤがそんな女性でないことも分かっていました。ヨセフは愛しているのに信頼できないという苦悩の末、終にこのように決断したのです。信頼が崩れれば、愛も崩れざるを得ないのです。◇しかし私たちは、このヨセフの苦悩する姿に神を信じ従おうとする者の姿を見なければなりません。今の私たちの世界では、こんな場合には、たちまち愛は憎しみとののしりに変わってしまいます。もしマリヤが〈さらし者〉になってしまったら、彼女は「姦淫の女」というレッテルを貼られ、イエスも「姦淫の子」として追放されねばならなかったでしょう。ヨセフの採った行動は、これを防ぎ、神の救いの計画を見事に担っているのです。神に従う信仰は、決して妄信ではなく、人間の理性を無視したものでもありません。◇解決は、天から、人の理性を超えた直接啓示として与えられました(20~21節)。クリスマスの出来事の中で〈夢〉が用いられている理由がここにあります。理性では受け入れ難いことだからなのです。もしヨセフが理性だけで行動したら、イエスは「姦淫の子」で終始したことでしょう。しかしヨセフは、神の御告げを信じ受け入れたのです(24~25節)。理性を超えて無視してでなく信じたこのヨセフの信仰が、見事に神の救いの計画を進めているのです。
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