浦和聖書バプテスト教会

《 宣教の開始 》

2017-02-05

この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。    (マタイ4:17)

 

この聖句を理解するために、〈この時〉に到るまでの直前のつながりのある経緯を辿ってみなければなりません。◇まず最初は、イエスのバプテスマです(3:13~17)。主はその必要がないお方なのに〈すべての正しいことを実行する〉ことを好しとされたのです。見逃してならないのは、この時に聖霊の満たしに預かっている点です。次は4:1~11です。聖霊にささえられて、主はサタンのすべての誘惑に勝利しています。11節は重要です。天の御使いたちが仕えてくれる状態に変わったのです。三番目は4:12~16です。主は、危険なユダヤの地からガリラヤのナザレ(主の故郷)に退かれましたが、そこにも留まらず、ガリラヤ湖畔の町カペナウムに住まわれました。留意したいのは、主の宣教の基地が定まったという点です。◇私たちは、この関連のある三つの経緯には、宣教の働きに必要な三つの要素が明らかにされていることに気づかねばなりません。主は必要なすべてを経験し、必要なすべての要素を自分のものとなさっているのです。宣教の働きは、人間的な思いや人間的な決意で始められるものではありません。たとえ始めたとしても、人間的なものは決して永続しません。始めては閉じ、始めては閉じの繰り返しで終るのです。私たちの内側にある宣教意欲はどうでしょうか。◇この三つのうち一つでも欠けているなら、私たちの宣教はうまくいかないでしょう。たとえば一番目は満たされていても、相変わらずサタンの誘惑に振り回されていたら宣教どころではないのです。三番目の要素でも同じです。自分が今置かれている所が定まらず確信もないなら、ただふらふら迷うばかりです。クリスチャンであるなら、誰でも宣教の働きに用いられたいと願うのではないでしょうか。ならば私はどうすればよいのでしょう。
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