浦和聖書バプテスト教会

《こわれた水ため》

2002-05-12

わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。 (エレミヤ2:13)

 

水ためとは、勿論、水をためるための施設です。しかし、イスラエルの人々が掘った水ためは、こわれていて水がみな漏れてしまうのです。これは何を意味しているのでしょう。◇まず、湧き水と水ためを比較してみるところから始めねばなりません。湧き水は、悠久の時を経てなお湧き続け、これからもこんこんと湧き続けていきます。それに対して水ためは、水をためるために人が作ったもので、何か事が起こるとたちまち枯渇してしまうのです。神様が、イスラエルの背信をこんな風に指摘しておられるのは、現代の私たちにも大変意義あることではないでしょうか。◇湧き水は自然そのものです。これは、唯一絶対の創造者を指しています。対して水ためは、人がこしらえたもの、人工宗教を意味しているのです。イスラエルは、唯一絶対の湧き水、生命の根源であられるお方を捨てて、カナンの土着宗教を取り入れた混合宗教を多数こしらえてしまったのです。人間の背信がこのような経路をたどって進んでいくことを、私たちは決して忘れてはなりません。人は現在でも、自分たちの必要のために、こわれた水ためを作りつづけているのです。それゆえ、蓄えても蓄えてもなお貧しいのです。◇私たちは、唯一絶対の湧き水であられるお方に立ち返らねばなりません。イザヤは次のように呼びかけています。<ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。>(イザヤ55:1)。また主イエスも<だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。>(ヨハネ7:37)と招いておられるのです。


最近のメッセージ

年月別メッセージ

アクセスカウンター

  • 今日:186   昨日:220
  • Total:238634   Online User: 0