浦和聖書バプテスト教会

《ぶどうなのに酸い実》

2015-09-06

彼は・・・そこによいぶどうを植え・・・甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。   (イザヤ5:2)

 

植えられたのは<良いぶどう>なのに、どうして<酸い実>ができてしまったのでしょう。ここにも、実に今日的な使信を聞くような気がします。◇まずこの主人がぶどう畑になしたことに目を留めましょう。この主人は<よく肥えた山腹>を<掘り起こし、石を取り除いて>、ぶどうに最も良い環境をすべて用意してくださったのです(2)。<わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。>(4a)と問い返しておられます。よい実を結ぶために必要なことはすべて備えられていたのです。これが、聖徒たちが生きるために、愛の神がなしてくださっていることなのです。◇しかも、まだ一度も実を結ばないうちから<その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って>甘いぶどうのなるのを待ち望んでいたのです。神の聖徒たちに寄せる主の信頼と期待は何と大きいことでしょう。私たちが主を信頼するよりもはるかに大きい期待と信頼を、主は私たちに寄せておられるのです。言うまでもなく、この期待に答えるところに私たちの生きる喜びがあるのです。◇残念ながら、当時の神の民はこれを裏切ってしまいました(4b)。そのため彼らは国を失うという大変な苦しみを経験しなければならなかったのです(5,6)。私たちは絶対にこんな歩みを繰り返してはなりません。神の聖徒が酸い実を結んでしまう理由は、背信と罪しかありません。対して、よい実を結ぶための要件はただひとつなのです。ヨハネ15:4,5。主イエス・キリストにしっかりつながり、しっかりとどまっているなら、そういう人は多くの実を結ぶことができるのです。なぜなら、必要なものはすべて幹である主から来るからです。

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