浦和聖書バプテスト教会

《イスラエルの悩みの炉》

2004-05-09

見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。(イザヤ48:10)

 

48章になると、神様のみことばは再びイスラエルに向けられています(1)。この章で重要なことは、バビロンの捕囚という歴史的出来事の意味が明らかにされていることです。冒頭の聖句は、それを端的に表しています。◇実は、バビロンの捕囚は、イスラエルを練り聖めるための試みだったのです。主は、<わたしは悩みの炉であなたを試みた。>と語っています。しかも非常に分かりやすく、銀が精錬されることとイスラエルが聖められていくこととを対比しているのです。銀は火できよめられ、人は悩みで聖められます。私たちは、信仰生活には、このような主からの試みがあることを知っておかねばなりません(ヘブル12:4~)。◇即ち、主なる神様は、いたずらに私たちを苦しめることは決してなさいません。私たちをご自分の子として扱っておられるので、天の御国にふさわしい者に整えてくださるのです。このことを知ってないと、私たちは、悩みの炉でいたずらに苦しむことになってしまうでしょう。ですから、悩みにはものすごく建設的な意味があるのです。悩むとき、主がこの私をどのように造り変えて下さるかを知らねばなりません。◇v11をご覧ください。<わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。>と主は言われます。もしイスラエルが不誠実で(1)かたくな(4)なままであったなら、主はだれに栄光を授けることができるでしょう。主は、ご自分の民イスラエルに栄光を与えようとしておられるのです。悩みの炉で聖められた者だけが、主の栄光を受け取ることができるのです。


最近のメッセージ

年月別メッセージ

アクセスカウンター

  • 今日:116   昨日:184
  • Total:215108   Online User: 0