浦和聖書バプテスト教会

《主がともにおられるとは》

2010-05-09

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 (マタイ28:20)

 天の御国に帰られる時に、主イエスが残された最後のことばです。私たちは、このみことばをどのように受け止めたらよいのでしょう。◇これはよく世の葬儀の場で言われているような、主イエスの思い出が心に残ると言うような意味では決してありません。単なる思い出であるなら、それはやがて薄れ、消え去り、忘れ去られてしまうでしょう。もち論主イエスの姿はこの地上では見られなくなりましたが、これは確かに、目に見えないある事実を意味しているのです。信仰生活とは、主イエスの思い出に従って生きる生活ではなく、主イエスとともに生きる生活なのです。主が、今、ともにおられるのです。◇他の福音書も参照して、簡単に事の経緯を確認してみましょう。先ずヨハネ福音書14章を見てみますと、主は、ご自分が天に帰られた後に<もうひとりの助け主>即ち<真理の御霊>を遣わされる、と語っておられます。弟子たちは、聖霊を受ける必要があったのです。ですから、聖霊がおくだりになるまで、主は、弟子たちに都(エルサレム)にとどまるよう命じておられます(ルカ24:49)。この約束の聖霊がおくだりになったのが、使徒2章のペンテコステの出来事です。十字架から数えて50日目に当たります。◇私たちは、この歴史的経緯を無視することは出来ません。主イエスがともにいてくださるとは、この聖霊なる神が信仰者の心に内住してくださる、ということなのです。聖書は次のように語ります。<キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。>(ローマ8:9) またⅠコリント6:19.ここでは<・・・知らないのですか。>と問いかけられています。実際に御霊の内住を知らないで生きている人が多いのではないでしょうか。


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