浦和聖書バプテスト教会

《主の洗足の意味》(2)

2003-02-02

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 (ヨハネ13:14)

 

主の洗足には、もうひとつ重要な意味がありました。主は、地上に残される弟子たちに、互いに仕え合うようにと模範を示されたのです。◇まずもう一度、足が身体の中のどういう場所かを考えておかねばなりません。足は、常に身体全体を支え、身体を他の場所に運ぶ活動の最も中心的な働きをする器官です。そのため、足は絶えず地面に接しており、地面の汚れを一番受けるところです。ですから、足は最も重要な働きを担いますが、それゆえに最も汚れているのです。主は、弟子たちのこの汚れた足を洗ってくださいました。今度は、互いにそれをするようにと教えておられるのです。◇勿論、他の人の足を洗うためには、その人の前で自らの膝を折り、かがみこまねばなりません。実は、私たちにはこれが出来ないのです。ペテロが一番若いヨハネの足を洗う場面を想像してみてください。私たちは、顎で指図するような仕え方は出来ますが、自分の膝を折ることが出来ないのです。私たちのプライドは、足を折るどころか、頭ひとつ下げるのも嫌なのです。しかし、<主であり師である>イエス様はそれをしました。どうして私たちが避けていてよいでしょうか。◇この相互洗足の姿勢を欠いているために、私たちはどれほど祝福を受け損なっているでしょうか。<それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。>と主は言われました。クリスチャンが祝福を受けそこなう理由の一つが無意識の高ぶりなのです(詩19:12,13)。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」からです(ヤコブ4:6)。みずからの膝を折ることによって謙遜を学びましょう。


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