浦和聖書バプテスト教会

《信仰と告白》

2012-11-04

 

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:10)

 

確かに信じることは心でなされ、告白することは口でなされることです。しかし、それはどのような関わりの中にあるのでしょうか。◇先ず、この聖句の一般的になされている誤った解釈について少し触れねばなりません。それは、告白を救われるための必要条件として捉える解釈です。この解釈によれば、心に信じただけではダメで、口で告白しなければ救われないのです。この誤りは、告白がなくても救われると考えている人たちも同じと言えます。パウロはそんなことを伝えているのではないのです。正しい解釈は、ヤコブ書が丁寧に説き明かしてくれている「信仰と行い」の関係で捉えることができるでしょう(ヤコブ2:14~26)。◇しかしながら、人の現実はそうすっきりしているわけではありません。ふたりの人物に目を留めてみましょう(マタイ26:69~27:5)。ペテロは、心で信じていましたが、告白では失敗した人です。しかし、彼が救われていないと誰が言えるでしょう。彼は、心底からの悔い改めに導かれているのです。一方ユダは、告白という点では「私は12弟子の一人です」となっていますが、その心には初めから信仰はなかったのです(ヨハネ6:64、70~71・13:10,11) ですからイエスを裏切った後も、「私は悪いことをしてしまった」という倫理的な後悔はあっても(マタイ27:4)、悔い改めは生まれて来ないのです。イエスとの絆は初めからなかったのです。◇ふたりの違いは、文字どおり天と地の違いです。もち論、私たちはペテロです。<心に信じて義と認められている>からです。心に神の義を頂いている人は、たとえ口で失敗しても、決して救いから漏れることはないのです。ペテロは、信じたその時から、主の守りの内に置かれていたのです(ルカ22:32)。
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