浦和聖書バプテスト教会

《信仰の目で見る》

2011-01-22

  天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 (詩篇19:1)

 これぞ「信仰の目」と言うことができるでしょう。◇科学的な見方からは、このような表現は決して生まれてきません。科学的な目は、天体の存在や動きを観測し、そこに何か新しいものを発見し、そのメカニズムを解明してくれるでしょう。しかし、そこに神の<御手のわざ>を認めることはしません。それはもはや信仰の問題になるからです。信仰がなくても科学はできます。もち論、信仰者もできます。しかし信仰者でなければ、大空を見上げてそこに神の創造のみわざを見ることは決してできないのです。神の存在を認めるか認めないかが、それぞれの科学の大前提であり出発点であるからです。◇改めて、物事の見方にはその前提によって二つの見方が生じるということを覚えねばなりません。クリスチャンはこの両方の見方に対して誠実でなければなりません。科学で信仰を否定してもいけませんし、信仰で科学を否定してもいけないのです。科学を絶対視して神を否認してもいけないし、神を強調するあまり科学的真理を否定してしまってもいけないのです。科学も、私たちの生活を豊かにするために与えられた神の賜物なのです。◇現代人の課題は、科学を神の座に据えてしまったところにあると言えるでしょう。大空を見上げても、そこに神のわざを見られなくなっているのです。近代の合理主義と科学的な見方が信仰の目を覆っていると言ってもよいでしょう。目からうろこを取り除かなければなりません(使徒9:18)。信仰の目は、大空に神の御手のわざを見るのです。神の自然啓示を教理のうちだけにとどめていてはいけません。伝えられる<話>があり、示されている<知識>があり、私たちを求める<呼び声>が<全地に響き渡っている>のです。ハレルヤ。


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