浦和聖書バプテスト教会

《十字架とよみがえりの予告》

2002-12-01

しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。 (ヨハネ16:16)

 

この主イエスのみことばが、主の十字架の死とよみがえりを予告していることは、今の私たちには誰にも明らかですが、当時の弟子たちにはまるで理解できなかったようです。◇弟子たちの間に、ちょっとした議論がもち上がります(17,18)。<どういうことなのだろう。><何のことだろうか。><私たちには主の言われることがわからない。> これは、弟子たちの率直な気持ちだったのでしょう。しかも彼らは、主に質問することもできず、もじもじしていたようです(19)。十字架とよみがえりが、どんなに信じ難く、理解し難いものであるかを、この弟子たちの姿はよく物語っています。救い主のみもとにいた弟子たちでさえ、主の救いのみわざを予測することはできなかったのです。◇すべてを知っておられたのは、主おひとりだけでした。主は、出産の苦しみと喜びを例に挙げて(21)、これから起こり来ることを明らかにしておられます。死の苦しみを経てよみがえりの喜びに。これは、私たち罪人を救うために、どうしても通らねばならない道のりだったのです。しかし、その激しい苦痛は、よみがえりの喜びに到った時には、忘れ去られていくと主は言われます。◇そして、その道のりは、主に従う弟子たちも辿っていかねばなりません。<あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。>(20)。<そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。>(22)。

十字架とよみがえりの秘儀は、信仰生活の真髄ではないでしょうか。悲しみが喜びに変わるまで、今しばらく、私たちも時を経なければならないのです。


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