浦和聖書バプテスト教会

《十字架の秘義、神の知恵》

2010-11-21

  ・・・こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。 (ローマ3:26)

 正しい人を義と認めるのは当たり前です。しかし神は、罪ある私たちを義と認めてくださったのです。ここに十字架の秘義があります。◇神様は絶対的に義なるお方ですから、私たちの罪をきちんと処罰しなければなりません。もしあやふやにしたり目をつぶったりして罪を赦してしまえば、それは不正を行ったことになり、神様は義なるお方ではなくなってしまいます。身近な例で少し説明できるでしょう。もしおまわりさんが、罪を犯して捕まった犯人が自分の親友だというので許したとしたら、それはとんでもない不正です。ただちに警察官をやめねばなりません。変な言い方になりますが、神様は自分が神であることをやめることは出来ないのです。◇ここに、どうしても御子の十字架が必要だったのです。十字架のない赦しは不正です。罪が処罰され償われていないのに、どうして赦すことが出来るでしょう。何の根拠もない赦しは、何の効力もない赦しです。主イエスの十字架がなかったなら、神の赦しは絵空事でしかないのです。しかしイエス・キリストは、私たちの犯した罪の全責任を引き受けてくださり、神のさばきを受けてくださったのです。十字架で罪は裁かれ、神の義が貫かれているのです。◇改めて、十字架における神の知恵を覚えねばなりません。十字架は、さばきと赦しという真っ向から対立する二つの課題を見事に一つに整合しているのです。さばきが赦しであり、赦しがさばきなのです。罪ある者を義と認める方法はこれしかありません。後にパウロは、次のような感嘆の声をあげます。<ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。>(ローマ11:33)十字架の秘義こそ神の知恵なのです。アーメン。


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