浦和聖書バプテスト教会

《御子は与えられた》

2012-12-23

 

  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が・・・ (ヨハネ3:16)

 

このクリスマスの日に、ただひとつの事に注目したいと思います。それは、御子イエス・キリストは、私たちの救い主として、私たちに<与えられた>ということです。◇<与えられた>ということを少しドライな言い方をすれば、所有が神の御手から私たち人間に移ったということです。もっとドライな言い方をすれば、人は御子を自分の意志で自由に扱うことができるようになったということです。ここにすでに「信仰による救い」という教理が暗示されているのです。神は、人間の自由を奪って、強制して救うようなお方ではありません。救いが強制であるなら、それはたちまち愛ではなくなってしまうのです。◇では、人はこの<与えられた>御子をどのように扱ったのでしょうか。ペンテコステのペテロのことばを借りたいと思います(使徒2:36)。今日でもまったく同じです。人は、神の愛の極みである御子を、自分の思いで抹殺しているのです。福音書には、この「人の姿」を預言するようなたとえ話があります(マタイ21:33~39)。神に対する背きの罪は、御子の十字架においてピークに達しているのです。人の犯す最も大きな罪は、神が遣わされた救い主御子を、みずからの思いで殺してしまうことなのです。◇それでは神は、人の救いに失敗してしまったのでしょうか。否!です。神は、はじめから、すべてを予知しておられたのです(使徒2:23)。主イエスも、はじめから、ご自分の十字架を知っておられたではありませんか(マタイ16:21)。すごいことです。神は、人間が犯した最大の罪を、人間の救いの成就する時としたのです。ハレルヤ。私たちは、クリスマスの出来事を、ここから遡って見なければならないのです。
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