浦和聖書バプテスト教会

《成果なき現実を越えて》

2013-01-20

 

それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある。」 (イザヤ49:4)

 

主は「わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現わす。」(3)と約束してくださいました。しかし、私たちの現実はそう生易しいものではありません。◇<私は無駄な骨折りをして・・・>と出てきます(4a)。これは、つぶやきです。自分の実際の生活において目に見える成果が現われないと、私たちにもこんなつぶやきが出てきます。<いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした>ように思えるからです。しかし、神のしもべの素晴しいところは、<それでも・・・私の報酬は、私の神とともにある。」(4b)と言えることです。これが信仰です。私たちは、現われた成果を頼りに生きて行くのではなく、愛と恵みの主に信頼と期待を寄せて生きて行くのです。◇この信仰に対する主の答えがv6です。二つの恵みが示されています。一つは、散らされていた神の民が再び集められて来るという約束です。しかし、主の恵みはそれだけにとどまりません。神のしもべが<諸国の民の光>とされ、<地の果てまで主の救いをもたらす者>とされると言うのです。私たちは即座に主のあの「大命令」を想い起します(マタイ28:18~20)。言うまでもなく、今の時代は、クリスチャンがこの働きを担うのです。◇非常におもしろいではないですか。イスラエルの歴史においてこれがやがて確実になって行くように、私たちの歩みにおいてもこうなって行くのです。主権はにあるのです。私たちは、成果なき現実を越えて、何と世界宣教を担っているのです。信仰を失ってはなりません。私たちは「主の救いをもたらす者」なのです。<むだな骨折り>と思えるような労苦であっても、決して<いたずらに、むなしく>終わらないのです。全能の主が覚えてくださっているのです。アーメン。
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