浦和聖書バプテスト教会

《挫折と自覚》

2010-02-26

  この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」 (ルカ 15:24)

 落ちるところまで落ちてしまった放蕩息子ですが、その後の歩みには、私たちにも大いに学ぶべきものがあります。

◇v17に<しかし、我に返ったとき彼は…>と出てきます。彼は自分を取り戻すことができたのです。ということは、今までの彼は、自分ではなかったということになります。自分でありながら自分でない。恐らく彼は、自分でも何がなんだか分からないうちに、いなご豆を食べねばならなくなってしまったのでしょう。罪に中に生きてる人は、自分なのに自分を生きることができないのです。◇<我に返ったとき>この息子は、三つの大切なことを自覚しています。ひとつは、自分がいるべきところにいないということです(17)。これは罪の本質的な姿です。次に、自分が犯した罪を自分の責任で受け止めていることです(18)。これも素晴らしいことです。第三に、ひとことで言えば、謙遜です(19)。それも、単に儀礼的に身につけた謙遜ではなく、心からそうなっているのです。彼の素晴らしいところは、こういう自覚を持って、父のところに戻っていったということです(20)。彼は、真の悔い改めに導かれたのです。◇その後の物語は省略するとして、ここで私たちは、挫折の持っている大切な意味を知っておかねばなりません。もし彼が、このような挫折を経験しなかったら、相変わらず罪のコンプレックスを抱えたままで、毎日うつうつと過ごしていたでしょう。世の中には、我に返ることなく一生を終えていく人も多いのです。しかし、彼は、死ぬような挫折を経て、自分に返り、父に返り、神様のもとにも返っているのです。まさに父のことばとおり、<死んでいたのが生き返った>のです。自立は、真の悔い改めから生まれます。

浦和聖書バプテストの教会ホームページはこちら


最近のメッセージ

年月別メッセージ

アクセスカウンター

  • 今日:153   昨日:209
  • Total:189905   Online User: 0