浦和聖書バプテスト教会

《時が来た》

2003-06-01

イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。(ヨハネ17:1)

 

この17章には、捕縛を直前に控えて、弟子たちの前で祈った主イエスの最後の祈りが記録されています。◇まず主イエスは、<父よ。時が来ました。>と祈り始められます。時とは、もち論、十字架にかけられる時、あがないのみわざを実行する時という意味です。旧約聖書には<天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。>

(伝道者の書3:1)とありますが、主イエスも、ご自分が十字架につく時をちゃんとわきまえていたようです。それは父なる神が定めておられた時であり、主イエスにとってはそれを実行する時でありました。即ち、父の時と子の時が、少しもずれることなく、まったく一致しているのです。◇主イエスが、このように、十字架の時をわきまえるには、それなりの確固とした根拠がありました。それは、翌日がちょうど過越しの祭りの「小羊をほふる日」に当たっていたからです。過越しの祭りの由来はご存知でしょうが(出エジプト記11~13章)、エジプト全土に及んだ主の恐ろしいさばきは、家の門柱とかもいに塗られた小羊の血によって過ぎ越されたのです。主イエスは、ご自分がこの過越しの小羊となって十字架につくことを知っておられたのです。◇ですから主イエスは、決してこの「時」から逃れようとはしませんでした。私たちと同じ肉の衣をまとっていた主イエスですから、<父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。>という願いはありましたが、その歩みはあくまでも<しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。>であったのです(ルカ22:42)。ハレルヤ。


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