浦和聖書バプテスト教会

《模範的な息子?》

2016-05-01

父は彼に言った。「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。(ルカ15:51)

 主イエスは、この兄の姿を通して、何を語ろうとしておられるのでしょうか。穿った見方が許されれば、これこそ悔い改めを知らない人の姿なのです。◇なぜ彼は悔い改めを知らないのでしょう。彼の生活が正しいからです。長年の間、父に仕え、戒めを破ったことは一度もない(29a)。これは偽りではないのでしょう。弟が帰って来たこの日も、彼は終日、言いつけられたとおり畑で仕事をしてきたのです(25)。模範的な生活ぶりです。◇しかし、彼の内面はどうだったのでしょう。父とのやり取りに、彼の内面に在るものが浮き彫りになっているではありませんか。先ず第一に、彼は父のすべてを受けているのに、それが当たり前、感謝も有難みもないのです。すべてを受けているのに<子やぎ一匹>に不満をぶっつけています(29)。恵みに当たり前になっていることは、何と高慢なことでしょう。しかし、何よりも私たちを引きつけるのはv28です。放蕩から立ち直り、ようやっと帰って来たたった一人の弟を祝福できないのです。これには色んな心理的な罪を見ることができるでしょうが、そのひとつが嫉妬でしょう。彼は自分が一番でないと気がすまないのです。この結果、彼は父の喜びを自分の喜びにすることができません。それどころか、かえって父に怒りを露わにしているのです。これはクリスチャンだったら、致命的でしょう。◇私たちはこれから後の二人の人生を想像して見なければなりません。弟は、聖霊の取り扱いを受けて、ますます人格的にきよめられ整えられていくでしょう。悔い改めを知っているからです。しかし兄は、このままでは一生いじけたままで人生を終わるでしょう。へたをすると、外側の正しい生活さえうしなうことになるのです。


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