浦和聖書バプテスト教会

《点でなく線として》(3)

2016-02-14

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。           (詩篇30:5)

 義なる神は、確かに私たち人間の罪や悪に怒りを表すお方です。しかし、この地上の人生においては、それは決して最終的で取り返しのつかないものではありません。◇<御怒りはつかの間>と言われています。詳しくは、詩篇103:8,9を見れば充分でしょう。この点では、人間のほうがよっぽど執念深いと感じます。人は時と場合によっては決裂にまで到ってしまいます。対して<あわれみ深く、情け深い>神は、<いつまでも怒っておられない>のです。勿論、私たちが悔い改めをもって御前に出るからです。主イエスの十字架の赦しは、私たちの現実の歩みにおいてもアーメンなのです。◇対して<いのちは恩寵のうちにある。>と言われています。これは勿論永遠のいのちです。主イエスによって与えられたいのちは、途切れることなく、とこしえに保たれているのです。クリスチャンは、肉のいのちだけでなく、このいのちによって生かされている者なのです。ですから、つかの間の怒りに触れても、それで人生が終わるわけではありません。怒りに触れている最中は、神のあわれみも、与えられているいのちも見えなくなるかも知れません。しかし、それは<つかの間>、過ぎ去っていくのです。◇ですから私たちは、自分の信仰生活に決して失望したり、諦めてしまったりしてはなりません。たとえ罪の怒りに触れている時もです。<夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。>のです。今辛い涙の中にあっても、それは<つかの間>、夜明けとともに<喜びの叫び>が戻ってくるのです。信仰による人生は、確かにつながっています。私たちは、このつながりで過去を辿り、このつながりでこれからの人生に希望を置くことが出来るのです。ハレルヤ。


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