浦和聖書バプテスト教会

《知識の初め》

2013-05-12

 

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。 (箴言1:7)

 

この1節は、いみじくも箴言全体のテーマを言い表しています。◇先ず、その意味をしっかり捉えておく必要があります。<初め>ということばは、創世記1:1の<初めに神は・・・>と同じような意味合いのことばです。それは通り過ぎてしまう一点ではなく、永続する線的なものとして捉えておかねばなりません。と言うのは、最初の出発点において<主を恐れること>がなされていても、その後の歩みでそれが忘れられてしまうということがあってはならないからです。ここでの<初め>は「あらゆる知識を支える土台」といったような意味なのです。◇これは、クリスチャン人生の基本中の基本と考えねばなりません。主を恐れずに生きていることがあってはならないのです。主を恐れているから、道徳的にも霊的にもきよい生き方が展開するのです。反対に主を恐れていないから平気で罪を犯せるのです。過去の罪を犯してしまった時の自分を想い起してみてください。そこには、主を恐れる思いがなかったのです。これは何もクリスチャンだけではないはずです。人は、心の中に恐れ敬う存在を持っていないから罪を犯すのです。そういう意味で、主に対する恐れは罪に対する恐れと重なっているのです。◇ですから、主を恐れて生きることは、結局は主の臨在を覚えつつ生きることなのです。これは、人間にとって最も大切なことです。神に対する恐れを払拭してしまった現代社会がどんな風になって行くか見定めねばなりません。諸々の知識が正しく活用されないのです。むしろ、ますます悪用されて行くでしょう。土台を欠いた建設は、ひと時は立派に見えても、時を経るともろくも崩れてしまうのです。この章の終わりのことばにも注目しておかねばなりません(32)。
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