浦和聖書バプテスト教会

《神に隠そうとする愚かさ》

2015-12-06

 

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。(詩篇139:7)

 

神様は私たちのすべてをご存知であられます。これを神の全知性といいます。◇まずそれがどんなものか見ておきましょう(3~6)。<すわるのも><立つのも>と言われています。実に日常的な行動です。<私の思いを>とも言われています。心の中にどんな思いを抱いているかも知っておられるのです。<ことばが私の舌にのぼる前に>とは、まだ表現しないうちからということでしょう。驚くべきことは(13~16)、神の全知性は、私たちの存在に先立っているという点です。これは人間には絶対に出来ないことです。◇さて、神様の前には、こんなにもすべてがあからさまなのに、人はどうして神様からのがれようとしたり、自分を隠そうとしたりするのでしょうか。私たちは、人のこの原風景をエデンの園に見ます(創世記3:8~11)。注目しなければならないのは、人がなぜ神を避けるようになってしまったか、です。答えは明らかです。罪を犯したからです。私たちは、罪のこの原初的な働きを自分の中にも見ます。自分の内にある罪が、<主の御顔を避け>させ、自分を<隠す>ようにさせるのです。これは、罪を犯した幼い子が、お父さんの顔をまともに見られなくなっている姿になぞらえることが出来るでしょう。◇愚かなことです。隠している罪がいつ発覚するのかを恐れながら、心理的な圧迫と緊張の中で過ごさねばならないからです。これが現代人の病的な姿といっても過言ではないでしょう。エデンの園で、人が罪を犯したその日のうちに、神が人に臨まれたことに留意しなければなりません。「あなたは、どこにいるのか。」神は、その隠された罪を放って置かれないのです。これこそ、十字架からの主イエスの呼びかけなのです。
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