浦和聖書バプテスト教会

《神の時を生きる》

2003-03-02

ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。 (ヨハネ13:31)

 

きょうのみことばは、ユダの裏切りが決行に移された直後に主イエスが語られたみことばです。いろんなことを考えさせられます。◇まず何よりも、人間の側の裏切りという最も卑劣な行為が、神の栄光の時となっていることです。もち論このことは、主イエス以外はこの地上のだれも知ることができません。残された11人の弟子たちも、「何が栄光なのか。」と首をかしげたことでしょう。神の栄光らしきものは、未だ何も現わされていないのです。それどころか、これからの時間は、神の栄光が人間の罪の力によって無惨に破壊されていく出来事が次々と生じていきます。そしてその頂点が、主イエスの十字架の死なのです。◇しかし主イエスは「・・・受けました。」と過去形で語られます。これは、ギリシャ語の文法上では「未来を現わす過去形」として扱われ、あいまいさのない神の確実な未来を意味していますが、私たちは、とてもそれだけで片付ける訳にはいきません。地上では何も見えませんが、神の時が流れているのです。御国の計画が着々と進められているのです。地上では卑劣な裏切り行為が始まっているのに、天の御国では、栄光授与式が始まっているのです。ハレルヤ。◇信仰とは、この天の時間を信じることではないでしょうか(ヘブル11:1)。そしてクリスチャンとは、この天の時間を生きる者ではないでしょうか。もし私たちが、ユダの裏切りを見て失望してるだけなら、それは神様ご自身に失望してることになるのです。私たちは、ユダの裏切りをしっかり見据えた上で、そこに神の栄光を見る者でなければなりません。「今こそ、私の人生はあなたの栄光を受けました。」と・・・


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