浦和聖書バプテスト教会

《罪と救いの神学》

2010-11-07

  ・・・ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 (ローマ3:24)

 先週の続きです。このv24には、神の救いがいかなるものかが端的明瞭に語られています。◇まず救いは<ただ神の恵みにより>と言われています。<ただ>とは、「ただこれだけ」の意で、他にどんな方法もないという意味です。二つの面から学んでおかねばなりません。ひとつは、私たち人間は、その罪の性質のゆえに、自力で救いを達成することは出来ないという点です。もうひとつの面は、背神の罪人を救うためには、神様の側でも恵を働かせる以外になかったという点です。神ご自身の義と公平という属性を貫くには、愛とあわれみという属性を優るものとしなければならなかった、ということです。神の恵みとは、愛とあわれみと赦しなのです。◇次に注目したいのは、救いの手段です。<キリスト・イエスによる贖いのゆえに>と言われています。キリストの十字架の御わざです。背神の罪は、何時か何処かでさばかれねばなりません。神様は義を貫かねばならないからです。私たちは一足飛びに「十字架=救い」と考えてはなりません。先ず神様は、御子を私たちの身代わりにとして死刑にすることで、背神の罪を最後的かつ完全に処罰されたのです。私たちの犯したすべての罪は御子に負わされたのです。だから私たちは赦されるのです。◇最後に注目したいのは<価なしに義と認められる>ということばです。罪は償われ処罰されて義と認められるものです。キリストの十字架は、これを一度で成し遂げてくれたのです。だから<価なしに>と言われています。これは「何の支払いも犠牲もなしに」という意味です。必要なことはすべて主イエスが成し遂げてくださったのです。だから私たちも義と認められるのです。


最近のメッセージ

年月別メッセージ

アクセスカウンター

  • 今日:619   昨日:226
  • Total:267076   Online User: 0