浦和聖書バプテスト教会

《解決されてない罪》

2010-02-26

  すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。 (ルカ15:28)   

 この放蕩息子のたとえ話は、兄の姿が語られることによって、より意義深いものになっています。主イエスは、この兄の姿をもって、暗にパリサイ人(2)を批判しているのです。◇物語のほうに目を向けましょう。長いこと行方知れずになっていた弟が、挫折してボロボロになって返ってきたのに、この兄はどうして喜べなかったのでしょう。ここに、この模範的な兄(29)の抱えている罪が露顕しているのです。さかのぼって、この弟が家を飛び出したのも、この兄のコンプレックスが大きな要因になっていたことは疑う余地がありません。この兄の罪のコンプレックスは、彼が優位な立場にあるときは隠れていて見えませんでしたが、今ちょっと立場が逆になっただけで噴出してくるのです。彼は、おこって、家にはいろうともしませんでした。◇心理学のほうではこれを旧約聖書の物語(創世記4:1~16)に因んでカインコンプレックスと呼んでいますが、これはだれにでもある感情ではないでしょうか。自分をこの兄の立場において見るとよく分かります。この日も父親の命に従い一日中畑で仕事をしてきました。土に汚れ、疲れた体で返ってきたところが、このお祭り騒ぎです。たいていの人が頭にくるでしょう。この兄は、一挙に父親に対する不満もぶちまけています(29.30)。◇私たちはここに、最も恵まれたところにおり、最も恵まれたものに預かってい、しかも本人も模範的な歩みができているのに、相変わらず罪の支配に動かされている人の姿を見ます。一方は、罪のゆえにボロボロになるような挫折を経験しているのに罪の悔い改めにみちびかれ、他方は、模範的な歩みをしてるのに未だ罪の支配の中にあるのです。考えさせられます。

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