浦和聖書バプテスト教会

《試練を通らせられて》(2)

2012-12-02

 見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。 (イザヤ48:10)

 

人生の諸々の苦しみや悩みをマイナスの意味でしか捉えられないところに、私たちの一般的な姿があります。しかし神様の計画は、まったく違うのです。◇この一連の聖句は、バビロン捕囚という屈辱的な出来事さえ、神の目的のため、イスラエルの誉れのために仕組まれたものであることを明らかにしています。主は<わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。>と言われるのです。また<わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。>とも言われます。神の民が神の栄光を現せないでいることは、神の沽券に関わるのです。言うまでもなく、これは今日では私たちクリスチャンに当てはまります。◇ですから私たちは先ず、苦しみや悩みをマイナスに捉えることを止めねばなりません。神にあっては、すべてが前向きなのです。パウロのことばにも耳を傾けましょう(ローマ8:18,28)。愛と恵みの神は、私たちの将来と人生全体を考えて今を計画しておられるのです。従がって私たちは、今という断面で全体を測ってしまってはいけないのです。全体のための今であって、決して今がすべてではないのです。◇大切なことは、今のこの苦しみを通して何を学ぶかです。主は<悩みの炉であなたを試みた>と言われます。銀は火で精錬され、人は悩みで聖められます。決して自暴自棄になってはいけません。バビロン捕囚という屈辱的な出来事さえ、神の民を聖め整えるためだったのです。しかも、70年という年月さえ、神にとってはほんのひと時という断面に過ぎないのです。中にはバビロンで生まれバビロンで死んでいった人も多くいたでしょう。しかし、すべてが神の計画の中にあったのです。
音声はこちら


最近のメッセージ

年月別メッセージ

アクセスカウンター

  • 今日:244   昨日:110
  • Total:189787   Online User: 0