浦和聖書バプテスト教会

《赦す心と仕えること》

2016-03-06

私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』(マタイ18:33)
 
 このたとえ話は、本来赦しについて主イエスが教えられたものですが、きょうはこれを「仕える」という視点で読んでみたいと思います。◇なぜこんなことをするかというと、兄姉に仕えるためには、絶対に赦す心が必要だからです。この点で私たちも何度か悲しい経験をしています。主にある交わりから離れてしまうのは、赦せないからなのです。たいていの場合が、責められた人が責めた人を赦せないのです。たとえそれが善意から出たことであってもです。注意をし、責める側にも愛の欠如という問題はありますが、それと同じくらい、責められた側にも赦す心の欠如という問題があるのです。◇主イエスのたとえ話に目を向けましょう。ここには、赦されたのに赦せない人が登場します。なぜこの人は自分の仲間(兄姉)を赦せなかったのでしょう。主イエスはその理由を明らかしてませんが、充分想像がつきます。彼は、自分の赦された意味を理解してなかったのです。赦されたという事実は知っていても、それがどんなに大きなことか理解してないのです。<1万タラント>という天文学的な数値と彼の言葉に(26)それがよく示されています。比して<百デナリ>という数値は、きわめて現実的な数値ではありませんか。
◇他人事ではありません。神様との関係が隣人との関係にまったく活かされてないのです。主イエスの十字架によって救われているのに、隣人との関わりでは百デナリの十字架を負うことさえ出来ないのです。主イエスの厳しい最後のことばに注目しなければなりません(35)。<心から兄弟を赦さないなら>と言われています。兄姉に仕える奉仕には、この心が絶対に必要なのです。この心があれば、どんな奉仕もやり遂げることができるのです。アーメン


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