浦和聖書バプテスト教会

《隠されている罪》

2011-01-23

  だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。 (詩篇19:12)

 みことばの恵み(7~11)を妨げるものは罪しかありません。中でも厄介なのは<隠れている罪>なのです。◇隠れている罪があるのですから「明らかになった罪」もある訳ですが、著者が後者を問題にしていないことに先ず留意しなければなりません。明らかになった罪はほとんど問題を引き起こさないからです。本人も気をつけますし、周りの人もその罪を刺激しないように配慮してくれるからです。これを「罪の意識化」と言います。何よりも意識化できた罪に対しては、私たちクリスチャンには悔い改めの恵みが与えられていることを覚えねばなりません(Ⅰヨハネ1:8~10)。◇そういう訳で、みことばの恵みを妨げ破壊してしまうのは、多くの場合<隠れている罪>なのです。しかし、それにも二つの範疇があることを知らねばなりません。一つは、本人は気がついているのに他の人に隠している罪です。典型的なのがイスカリオテ・ユダでしょう(ヨハネ12:4~6)。これは、本人には意識化できてる訳ですから、悔い改めの責任と義務があります。主イエスが最後の最後まで彼を弟子団に残しておられた理由はここにあるでしょう。◇一番厄介なのは、本人にも隠されている深層にある罪です。著者はその具体例として<傲慢の罪>を挙げています(13)。何処かに「謙遜の限りを尽くして」という言い回しがありましたが、みんな自分こそそうだと思って生きているのではないでしょうか。傲慢の罪は本人にも他人にも巧みに隠されているのです。著者は、この罪を制することができれば、他のすべての罪を制することができると告白しています。同感です。<どうか、隠れている私の罪をお赦しください。>と祈らねばなりません。

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