浦和聖書バプテスト教会

「忙しさの中で祈る意味」

2017-06-18

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て 行き、そこで祈っておられた。

聖句:マルコ1:35 奨励者:川島 実成

現代人クリスチャンは非常に忙しく祈りが失われています。しかし、主はそうではありませんでした。二つの点が教えられます。
第一に、主イエスは忙しいからこそ祈りました。イエスの評判はカペナウムで日に日に広がり、人々は夜でもイエスを訪ねています(32節)。イエスはそんな人々の病を癒し、悪霊を追い出しました。病院のように、次から次へと患者を診るわけにはいきません。一人一人と関わりを持たなければならないのです。非常に多くの時間がかかったでしょう。それは主が言われた通り、枕する所もないほどの忙しさでした(マタイ8:20)。けれども、そうした忙しさの中で、イエスは朝方寂しい所へ出て行き一人で祈っているのです。それは、弟子たちが迎えに来るまで続きました。私たちはこの姿から教えられるのです。クリスチャンは、忙しい時にこそ祈るべきなのです。
第二に、主イエスは祈りの中で使命を確認しました。弟子たちがイエスを迎えに来たのは、人々から要求があったからです(37節)。本来、需要と供給の関係で考えるならば、需要があるのです。ここに留まって働くのが「世のため人のため」なのです。しかし、イエスは忙しい中で祈り、父なる神からご自分の使命を確認し、別の判断をしたのです。それが〈別の村里へ…福音を知らせよう。わたしはそのために出てきたのだから。〉(38節)なのです。イエスの使命はイスラエルの失われた羊に福音を宣べ伝え(15:24)、最終的には人類の罪を贖うことです。そのために、先ずガリラヤ全土へ福音を知らせる必要がありました。そうやって、祈りの中で使命を確認し、民の需要に答えるよりも、父なる神から与えられた使命に従ったのです。
忙しいから祈れないは、主イエスの姿からは見られません。私たちクリスチャンは忙しいからこそ祈るのです。そうやって祈る時に、神からの使命が示され、今やるべきことを間違えずに、真っ直ぐに歩むように導かれるのです。


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