浦和聖書バプテスト教会

1月, 2002年

《神のわざが行われるために》

2002-01-27

 

そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰っていった。  (ヨハネ9:7)

 

主イエスはここで、<生まれつきの盲人>の目を開かれました。きょうは、その方法に注目したいと思います。◇主がなさったことは、今の私たちから見てもとても不思議な方法でした。まず、主は地面につばきをして、そのつばきで泥をこねられ、それを盲人の目に塗られました。私たちは、なぜ主がこんなことをなさったのか考えてみる必要があります。勿論、そこの地面に薬効があったわけではありません。恐らく主は、視覚をもって認識できない彼に、何かを知覚させようとなさったのでしょう。◇このことは、主の次の命令にも示されています。主はシロアムの池に行って洗いなさいと命じられました。エルサレムには他にも有名なベテスダという名の池がありました(5章)。しかし、主は彼に、シロアムの池と指定されたのです。それはシロアムということばに「遣わされた者」という意味があったからです。主は、何とかして、彼の目の前にいる人物が神から遣わされた救い主であることを知らせようとなさっているのです。◇聖書は単に<そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって…>と記していますが、目の見えない彼がこの池にたどり着くまでにどれだけ大変な苦労があったか、想像してみる価値があるでしょう。しかし彼は、主のことばを信じて従いとおしたのです。信仰とは、みことばの約束を信じて従うことです。神のみわざはその時なされるのです。もし彼が途中であきらめてしまったらどうなっていたでしょう。確認しておかねばならないことは、彼は見えるようになってからシロアムの池に行ったのではありません。みことばに従ったから見えるようにしていただいたのです。アーメン。

 


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