浦和聖書バプテスト教会

8月, 2004年

《人の霊を動かす主イエス》

2004-08-08

イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。(ルカ9:41)

 

先週私たちは、山の上で現された「天の光景」に目を留めました(28~36)。きょうは、同じ時に、山の下で起こっていた出来事に目を留めましょう。◇まず私たちは、山の上で現された事と、山の下で起こっていた出来事とを見比べてみる必要があります。あまりに違いすぎるからです。山の上では「先生。ここにいるのは、すばらしいことです。」と叫ぶような天の光景が現されているのに、山の下では悪霊に取りつかれた病の人がおり、その人に対して何もできない弟子たちがいます。これは私たちの現実でもないでしょうか。私たちはいつまでも山の上に留まることはできません。現実の世界に降りて行かねばならないのです。そこには、生きることに伴う様々な苦しみや困難が満ちているのです。◇残念ながら、残された9人の弟子たちは、悪霊に取りつかれた子どもをいやすことができませんでした(40)。これが山の下の現実です。主イエスも「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」と嘆いておられます。人の心の霊を動かすことは、人にはできないのです。恐らく、人類が最後まで制することができない事柄が、人の心の霊の問題でしょう。◇しかし主イエスは、弟子たちの不信仰と無力さを嘆きながらも、その子をいやしてくださいます。<イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし・・・>とあります。強調しなければならないのは、主イエスのこの愛と力です。人にはできないことでも神にはできるのです。私たちは、自分の信仰の乏しさを嘆いてばかりはいられません。私たちも「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9:24)と、主のみ前に跪かねばならないのではないでしょうか。

《変貌山での出来事》

2004-08-01

祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く輝いた。(ルカ9:29)

 

有名な変貌山での出来事です。◇この箇所で私たちがまず最初に確認しておきたいことは、天と地はつながっているということです。普段私たちは、この地上の事柄しか見ていませんから、いつのまにかそれがすべてと思い込んでいます。しかし本当は、天の事柄がすべてなのです。主イエスは、祈りの中で天の姿にもどられました。そして天の人モーセ(律法)とエリヤ(預言者)と三人で、主イエスの最期(十字架)について打ち合わせと確認をしているのです。これはまさに天の光景です。◇勿論、こんなことはそうたびたび起こることではありません。主イエスの公生涯でも一度限りのことです。そしてこの場所に居合わせることが許されたのもたった三名の弟子だけでした。彼らは最初のうちは眠くてたまらなかったようです(32)。しかし、この天の光景を目の当たりにするや否や、彼らは激しい感動に打たれるのです。ペテロは叫びます。「先生。ここにいることは、素晴らしいことです。>(33)。ペテロは事の次第を理解できず無我夢中でしたが、そのすばらしさだけは分かったようです。これが重要なのです。彼は地にあり、肉の中にありながらも、天の光景を垣間見たのです。◇私たちはこの変貌山での出来事を、歴史における神の特別啓示の一こまとして片付けてしまってよいでしょうか。ペテロと同じような感動は、今の私たちにはもはや体験することも味合うこともできないのでしょうか。大切なことは、私たちも主イエスに向かって「先生。ここにいることは、すばらしいことです。>と言える時を持つことではないでしょうか。それは、天と地がつながり、天の光景を垣間見る時なのです。そういう時を持ってますか。


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