浦和聖書バプテスト教会

3月, 2014年

《悲しむ力》

2014-03-30

 

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。(マタイ5:4)

 

この主イエスのみことばは、神様から真の慰めを受けることができる者は、正しく悲しむことが出来た者であると告げているのではないでしょうか。◇具体的な例を見てみましょう。コリントの教会です。先ず彼らは、悲しむべきことが生じているのに、それを<悲しむこともなかった>のです(Ⅰコリント5:1~2)。<異邦人の中にもないほどの不品行>が行われていたのですから、それを知らなかったわけではないでしょう。罪を取り除くに当たって生じてくる悲しみを負いたくなかったのです。関わらずにいたのです。逃げていたのです。こういう思いは、私たちの中にも本能的に在るのではないでしょうか。◇しかし彼らは、このままで終わってしまったのではありません。パウロの指摘と勧告を受けて立ち上がったのです。そして、罪の処罰と悔い改めを為し遂げたのです(Ⅱコリント7:8~11)。この悔い改めの中に、今見た不品行が含まれてない筈がありません。ひょっとすると、これが悔い改めの中心だったのかもしれません。とに角、彼らは罪を悲しんだのです。それは大変苦しく辛いことでしたが、大きな悲しみをもって罪を処罰し、悔い改めを為し遂げたのです。主イエスが言われた<悲しむ者は幸い>とは、こういうことを指すのではないでしょうか。◇パウロは、こういう悲しみを<神のみこころに添った悲しみ>と言っています。改めて、今の私たちが置かれている状況に目を向けねばなりません。もし、あっけらかんと喜んでいられる人がいたら、かえって疑問を感じざるを得ません。私たちは、悲しむべき時には悲しまなければならないのです。十字架のむごさ、悲しさが、私たちを罪から贖っていることを忘れてはなりません。主イエスは、とてつもない悲しみを担い切ったのです。
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《鮮やかな救い》

2014-03-23

 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。(エペソ2:8)

 

この一連の聖句ほど、救われる前の私たちの姿と救われた後の姿との違いを鮮やかに示してくれる聖句は他にないでしょう。◇まず救われる前ですが、私たちは<自分の罪過と罪との中に死んでいた者>(1)であったと告げられています。そして、その生き方は<この世の流れに従い>、サタンの支配の中を歩んでいた(2)。さらにその歩みは<自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行って>いたと言うのです。しかし、その当時、こういう自分を自覚していた人はひとりもいないでしょう。死者は、自分に対しても世に対しても何の認識も持つことはないからです。ですから、こういう過去の自分の姿が見えてくるのは、救われている証拠でもあるのです。◇では、そういう罪の歩みから私たちはどのようにして救われるのでしょう。覚えておかねばならない大前提は、救いは<神からの賜物>であるということです(8b)。<あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストともに生かし>てくださったのです。救いは、死からいのちへの転換です。それは、神の<大きな愛>による一方的な賜物なのです。<自分自身から出たこと>ではないのです。◇<賜物>であるなら、私たちのなすべきことは、それを有難く頂くことでしょう。もしこれを拒むなら、それほど失礼なことはないし、愛の関係は断絶してしまうのです。信仰とは、この神からの賜物を受け取ることで、これを拒むことが不信仰ということです。私たちが、今、心を決めねばならないのはまさにこの点なのではないでしょうか。もち論、この賜物を受け取るためにです。
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《救いを求める祈り》

2014-03-16

 

あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。(詩篇79:8)

 

この詩篇の時代背景を特定することは出来ませんが、バビロン帝国に滅ぼされた直後のような状況にあったことは確かなようです(1~4)。この悲惨な状況の中で主に救いを祈り求めているのです。◇まず最初に注目したいのは、このような苦境を、彼らの罪に対する神の怒り、さばきとして受け留めていることです(5,8,9)。これが出来るのは、彼らが神を信じている「神の民」だからでしょう。同じ苦しみを受けていても、ここに神を信じている者とそうでない人の違いを見るのです。神を信じていない人は、これは単に敗戦ゆえの苦境に過ぎないのです。罪意識も悔い改めも生じて来ないのです。◇第二に注目したいことは、自分たちが<おとしめられている>ことで神の御名が軽蔑されているのを、悲しみと悔しさを持って受け留めている点です(6,10)。これも神の御名を背負った者の姿でしょう。私がおとしめられていることは主がおとしめられていることなのです。「彼らの神はどこにいるのか」(どこにもいないではないか)と言われてしまっているのを、黙って見過ごしにしている訳にはいかないのです。苦しみと悲しみにうち沈んでいる訳にはいかないのです。主の救いが必要なのです。◇ここに、神に助けと救いを求める祈りが生まれているのを見逃してはなりません(9)。単に苦しみと屈辱を逃れるためではなく、<御名の栄光のために><御名のために>主の助けと救いを求めているのです。主と一体化した者なればこそ生まれ出る祈りです。私の屈辱は主の屈辱であり、私の救いは主の誉れなのです。今の私たちに求められているのは、このような主イエスと一体化した祈りではないでしょうか(13)。
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《信仰によって歩む》

2014-03-09

 

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15:6)

 

神様を信じる者がすべて信仰によって歩んでいる訳ではありません。アブラハムの歩みから基本的な在り方を学びましょう。◇先ず注目したいのは、彼は自分の現実を正しく認識し、それにふさわしいと思われる対策をきちんとなしていたという点です(v2,3)。結果から見れば、これは主の御こころではありませんでしたが、だからと言って、こういう歩みを不信仰と片付けてしまってよいのでしょうか。むしろこわいのは、信仰という名の下に現実を無視したり否定したりして根拠のない期待を主に寄せることです。妄信や狂信に陥らないように注意しなければなりません。信仰による歩みは、自分の置かれている現実を正しく認識し、それを受け入れることがなされていなければならないのです。◇しかし、ひと度主の計画が示されたなら(4)、今度は自分の現実がどうであろうとそれを信じなければなりません。<彼は主を信じた。>のです。ここに信仰による歩みがあります。アブラハムの現実には、主の御ことばが実現するであろうと思われる合理的な根拠は何もありません。かえって御ことばの成就が不可能であることを示す根拠ばかりです。しかし、それだからこそ、全能の神には出来ないことはない(ルカ1:38 18:27 ピリピ4:13)と信じたのです。信仰による歩みは、無現実でも非現実でもなく、超現実なのです。◇私たちもこのように生きたいものです。主に期待することは決して合理的可能性を無視して生きることではないのです。クリスチャンはきわめて常識人でもあるのです。しかし同時に、私たちは現実の合理的可能性に縛られて生きているのでもありません。全能の主を信じているのです。愛と恵みの神は、私にある可能性を超えて御わざを行うことが出来るお方なのです。
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《祝福の意味を知る》

2014-03-02

 

神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。(詩篇67:7)

 

私たちは誰もが自分の幸せのために神の祝福を求めています。これは一概に誤りというわけではありませんが、少し考え直してみる必要があるのではないでしょうか。◇というのは、自分の幸せのためだけで祝福を求めているなら、それは十字架を知らない世の人々と同じ利己主義的な生き方になってしまうからです。クリスチャンが自分の幸せしか考えられなくなったら、何とさびしいことでしょうか。主イエスは、私たちを罪と滅びから贖い出すために、ご自分のいのちを十字架に捨ててくださったのです。私たちはクリスチャン、その主イエスの弟子なのです。◇この詩篇のすばらしさは、祝福を求める祈りが自己目的を超えて、人々が神を恐れるようになることを求めている点にあります(v1,2・v7)。確かに神のあわれみと祝福を受けるのは<私たち>なのです。しかし、それが最終目標ではないのです。<私たち>が祝福を受けることによって、<地の果て果て>まで<神を恐れる>ようになること、これが最終目標になっているのです。祝福を<あなたの御救いがすべての国々の間に知られるため>に求めているのです。考えさせられるではありませんか。◇これは決して私たちが幸せになってはいけないということではありません。信仰の奥義なのです。マタイ福音書10:39の主イエスのおことばに目を向けましょう。<いのち>を<幸せ>と入れ替えて読んでもそんなに大きな間違いにはならないでしょう。クリスチャンにはクリスチャンの幸せがあるのです。それに預かるためには、主のために自分の幸せを捨てる必要があるのです。これが献身です。主のために自分の幸せを捨てた者がそれを得るのです。与えられるのです。アーメン。
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